この話、前にもしたことがあるかもしれないけど、
シラスというと必ず思い出すことがあるのです。

小学校三年のときのことだ。
給食の時間、ほうれん草のおひたしの上にかかっていたシラスに、
1センチくらいの子蛸が一匹交ざっていた。
見つけたよっちゃんとみほちゃんが騒ぎ始めて、
子蛸をそっとつまんでティッシュペーパーに包んでいる。
「蛸さんがかわいそうだから、埋めてあげるの」
だという。
小さいのにちゃんと八本の足を持っている子蛸は確かに可憐だったが、
それならば、消しゴムの削りかすみたいな姿のシラスたちは
食べられてもかわいそうでないというのか。
ほうれん草の命はどうなるんだ。
納得が行かなかった私は、満面の笑顔で言い放った。
「それじゃあ、シラスさんも一緒に埋めてあげたらどう?」

我ながら会心の皮肉だったのだが、
しかしそれを聞いたよっちゃんたちは、実にいいことを聞いたという顔で
いそいそとシラスをティッシュに集め始めたのである。
今さら皮肉の解説をするわけにもいかず、私は呆然と二人を見つめるしかなかった。
そして給食後の昼休み、校庭の隅に立つトーテムポールの足元で
蛸とシラスの埋葬がしめやかに執り行われた。

このとき、九歳の私は一つの教訓を得た。すなわち
「皮肉は、言う相手を選ぶべし」。
思えば、可愛げのない子供である。
そのくせ、このシラス埋葬事件以降なぜか私まで
シラスが食べられなくなってしまったのだからおかしなものだ。
シラスと死のイメージが、私の中で結びついてしまったのだろうか。
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